
今回は、神戸の内容をレポートしたいと思います。 中華街のシンボル的存在の関帝廟は、南京町からやや離れたところにあり、元町駅の北側、中山手通にあります。同じように元町駅の北側、諏訪山山麓付近にあるのが神戸中華同文学校。1900年に開校したという、通常の学校としてもかなりの歴史を持つ中華学校です。
これまでに紹介された神戸の情報を参考までに、こちらに載せました。 入学希望者が増えている理由としては、先に挙げたように中国の成長があり、早めに中国語を受けさせたいと考える親が増えているというのが第一です。国際性という意味では確かに神戸中華同文学校に通う生徒の国籍は豊かです。中国人や台湾人だけかと思いきや、韓国やアメリカ、カナダ、インドやベトナムなど、日本も含めると12カ国にも上る国の人々が集まっているとされます。
神戸について触れた部分を、もう一度確認しておきましょう。 もっとも、この地域が有名になったのは平清盛が福原京を計画し、その周辺地域である神戸の一帯が『大輪田泊(おおわだのとまり)』ひいては『兵庫津』と呼ばれるようになってから。そして幕末の開国時に兵庫開港が決まり、神戸村が事実上の開港場であったことから神戸港となり、現在へと至るようになります。ちなみに、神戸という名の由来は、現在の三宮、元町周辺が古くから生田神社の神封土の集落、つまり神戸(かんべ)であったことにあるといわれます。
ここでは、あなたに知っておいてもらいたい神戸について紹介します。 ただ、それゆえに大都市でありながら豊かな自然が残る観光スポットとしても親しまれており、とくに今挙げた六甲山は数多くの景勝地が存在します。たとえば樹氷の名所として知られる有馬四十八滝がある六甲アイスガーデン。また、六甲山以外にも古くからの温泉地として知られる有馬温泉があり、港湾部に目を移してもポートアイランドや旧居留地などがあります。
ここでは神戸についてじっくり考えてみましょう。 そのままずばり、鵯越町という地名も残されていて、古くから有名な地名であったことは想像に難くないでしょう。ただ、合戦が行われたという神戸市須磨区一の谷町とは随分距離が離れていて、奇襲を仕掛けたというのは大分無理があるようです。さらにいえば、合戦が行われた場所というのも伝承とは違うのではないかという話もありますが、そうした真偽がないまぜになっているのも、歴史の楽しみの1つといえるでしょう。
神戸について正確に把握するのは困難なのではないのでしょうか。 ただ、神戸港は港湾法上の特定重要港湾に指定されていますが、なかでも国際コンテナ輸送上でとくに重要だとされる指定特定重要港湾、いわゆるスーパー中枢港湾にも指定されています。ちなみに、日本の港湾でこの指定を受けているのは、神戸のほかに東京、横浜の関東圏、名古屋、四日市の中京圏、そして神戸と同じ関西圏に属する大阪のみ。そして、なぜこの神戸の地にこれほどの港があるのかといえば、京や大阪に近いという地の利もさることながら、地形そのものの利点もあります。